2020/02/24 09:52

「泣く女」のモデルと言われる、ドラマール。
ピカソの5番目の恋人、もしくは愛人と言われています。

写真家、詩人、画家とアーティストだったドラマール。
シュールレアリズムの時代でもあり、サルバドール・ダリや、ルネ・マグリットなど多くの代表的なアーティストがいます。 
ドラマールもシュールレアリストであり、ピカソも又その時代シュールレアリズムに傾倒していました。

そんな二人が出会ったのも、パリ、サンジェルマン・デ・プレのシュールレアリストが集まるカフェのテラス。
カフェ「ル・ドゥ・マゴ」。
今だって、ちゃんとあるのが流石ヨーロッパ!
観光名所だと思いますが、いってみたいな~

現場!?が具体的だと当時を想像してしまいますね!!!!

ドラマールは、幼少をアルゼンチンで育ち、スペイン語が堪能だったそうで、
スペイン・アンダルシア(マラガ)出身のピカソとはスペイン語ですぐに親密になっていきます。
 
ピカソがドラマールに引かれたのは、美貌の他に、手の自傷行為の傷。。。ん?何?

ドラマールは、
当時、テーブルに手を置き、指の間を高速でナイフを刺していくゲームをよくしていたそうで、、、
ロシアンルーレット的な?
しかし、あのゲーム!?で本当に手が切れている人いたんですね。。。。。正に自傷行為。。。
ピカソは、ドラのその血糊がついた手袋をアトリエにかざっていたそうです。
うーん、なんだか、ピカソ、好きそう。。。


ドラは、情熱的で感情的で、そして、シクシクとなく女性だったそうです。
特に、4番目の愛人、マリーテレーズにはピカソとの間に、子がいて
自分には、いない。
そんな劣等感をもち、マリーに、いつもライバル視していたドラは、
アトリエで鉢合わせになったときのエピソードがあります。

ピカソに言い寄った二人に、
「どちらかに決めるつもりはない。闘え。」と言ったそうです。
闘えって!?すごくないですか???

(ちなみに二人は、そこで取っ組み合いのケンカをしたそうです。。。怖い)

後にピカソは、「泣く女」について、こういっています。

「私にとってドラはいつも「泣いている女」でした。
数年間私は彼女の苦しむ姿を描きました。
サディズムではなく、喜んで描いているわけでもありません。」

そうかな、、、、上の2人の闘えって、、、、、、sでしょ!サドだから!
と心の中で思ったのでした。。。

つづきは、
そのあとの言葉から。なんだか、こちらの言葉は、難しいです!

「ただ私自身、無意識に強制されたビジョンに従って泣いているドラを描いただけです。

それは深い現実であり、表面的なものではありませんでした。  」


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最初からのお話は、コチラ です。